サムライシンジの写真

先日、Youtubeで、あるギタリストの動画を見ていた。
コメント欄はファンの皆さんの絶賛コメントで盛り上がっていた。
私もそのギタリストが大好きなので読んでて楽しい。

その中に水を刺すようなコメントがあった
「下手だ」といったようなアンチコメント。

それ以降、上手い!いや下手だ!
コメント欄で言い争っている。
あまり見たくない光景。
すぐにコメント欄を閉じた。

そもそも、ギターが上手いとはどういう事か?
其々に上手いと思う価値観が違う。
上手いと感じる互いの価値観が同じだと信じ合っているのだろうか?
信じ合っているのならば仲良くできるだろうに。

其々に価値観や判断基準が異なるのに、
言い争っても答えは出ない。
互いに違う言語でケンカしてるのと同じだ。
ケンカしたって互いの言うことの意味など理解しあえるはずなどない。
話し合いをするには互いの基準を揃える必要がある。

ギターが上手い人はこんな人です。
などという世界基準があるのか?
そんなの聞いた事ない。
そもそも人に決めてもらうものではない。

愛とは?
100人に聞けば100通りの答えが返ってくるだろう。

ギターが上手いとは?
の質問に対する答えもこれと同じだ。

そして、上手い=カッコいいではない。
これについては答えがもっと曖昧になる。

例えばあなたが、1人の異性に心奪われ、
ステキだと思ったとしよう。
それを友人に伝えると、
友人から、どこがいいの?
と言われてしまう。
こんなのよくある話だ。

私は魚の刺身が苦手だ。
なので寿司も好きではない。
どこそこの寿司が美味いとテレビでやっている。
それを見て母は美味しそうだと言う。
私には全然美味しそうには見えない。

寿司が苦手だと言うと驚かれることも珍しくない。
みんな寿司が好きだと思ったら大間違いだ。

みんな同じ光景を見ているようで、
実は全く違う感じ方をしている。

感じる心は無意識だ。
無意識に良い悪いを判断する。

自分と同じように他人もそれを見ているに違いないと思ったら大間違い。

人間はどこまでいっても主観でしか見れない。
何故なら自分以外にはなれないから。
しかし視野を広げることは出来る。
視野が広がれば見える世界が変わる。
体験をしないと視野は広がらない。
人の痛みがわかれば誹謗中傷もなくなるだろうに。

何が起こってもおかしくない世の中になった。
自分の小さな価値観を守るために争っている場合ではない。
大事なのは受け入れ合うことだ。